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思った以上に私のブログを見て下さる方が多いようで…一度は廃止と決めたこのブログをもう一度書こうと思います。(きっと)
と言う事でよろしくお願い致します。

11/5/2012 毎回写真をアップするのは大変なのでやめる事にしました。ついでにブログの名前も変えました。写真のアップはコチラのブログでやっていきます。当初決めていたルールも崩壊。

Saturday, August 11, 2012

ロサンゼルスで一晩を過ごして思う事とリトル東京について

Union Station, Los Angels

まだたった一晩しか過ごしていないロサンゼルス、受けた印象を今回は書こうと思う。
写真はロサンゼルスのユニオン駅(Union Station)。



昼過ぎにチェックインしたホステルは思った以上に綺麗だった。部屋は最大で6人で共有となっていたが、自分に設けられた部屋は2人部屋で、昨日時点ではルームメイトはおらず、1人で使える事が出来た。しかし、エアコンはなくWi-Fiは違う共有の部屋に行かねばないらしく、今後の生活を思いやられた。と言うのも、このホステルに11日間滞在する予定なのだ。

ホステルの部屋は6階でエアコンがないがほんの少し風が入ってくる。前日までの旅の疲れもあり、自然と眠くなってきた。そのまま昼寝を1時間ほどした。

昼寝から目覚めた後は、11日も滞在するロサンゼルスはどんなところだろうと散策することにした。ホステルはダウンタウンに位置する。正確には”地図上ではダウンタウンと示されている所の近辺”に位置する。何故、あえてこういう言い方をするかと言うと、そこは自分が想像したダウンタウンとはかけ離れたものだったからだ。

ダウンタウンと言えば、お店やレストランが沢山並んでいて、高い建物が並び、観光客もいれば、現地のビジネスマン達も賑わうエリア。それが自分の持っていたイメージだった。そんなイメージとかけ離れた、廃れた場所にそのホステルはある。周りにホテルもあるが、誰がそこに泊まるかなんて予想できない。夕方になればホームレスの人々が沢山行きかう道。一応はメインストリートだ。自分の経験上、アメリカでメインストリートやブロードウェイと呼ばれる道は(その周りよりは)大抵栄えてる。しかし、ここのメインストリートは名ばかりである。

ホステルからひとまずUnion Stationへ向かって見ることにした。メインストリートを北上すれば着く。しかしメインストリートをただ歩くのもつまらないので一本隣の道に移ってみた。後悔した。5時前にしてシャッターの閉まった店の数々。


治安が悪いと有名なロサンゼルス、さすがに怖くなりひとまずメインストリートに戻った。目的地のUnion Stationに着くまでに何十ものホームレスを見た。治安の悪さはここからなのだろうか。ドリルを片手に歩く男がいたり、怒鳴りながら歩く男がいたり、とても住める街じゃないと思った。

ロサンゼルスに落胆しつつもUnion Stationに着いた。写真はほとんど撮っていない。ニューヨークシティのGrand CentralやワシントンDCのUnion Stationのように栄えてもいなければ名物になりそうな物も見当たらない。これもまた名だけである。

そのままリトル東京へ向かった。日本語がちらちら見え始めた。何故か七夕の祭りをしていた。終わった後なのか、準備中なのかはしらないが、日本人の顔をして英語をペラペラ話す人々が集っていた。(写真は何かのエラーで載せれない)

リトル東京らしい(?)風景はこちら。


日本語で書かれたお店も多いが、周りは日本人の顔をした英語を話す人ばかり。

先祖または本人がアフリカから来たアメリカ国籍の黒人達をAfrican-Americanと呼ぶように、同じような日系アメリカ人はJapanese-Americanと呼ぶ。これはどんな人種にも使える用法。気付いたのは、Japanese-AmericanにJapaneseを見出そうとしていた自分は愚かで、Japanese-AmericanとはJapaneseでなくAmericanであると言うことに気付かされた。なんとなく、リトル東京には日本人がいると想像していたけど、そこには単にJapaneseの血を引くAmericanがいるのであって、まわりの物がJapaneseのものでも、そこにいる人々はAmericanなんだと実感した。

リトル東京にあるスーパーは、ニューヨークシティの日本から来た日本人の経営するスーパーと品揃えは結構違う印象を受けたし、リトル東京にある服屋は明らかにアメリカな服で日本人らしい服屋とは遠く離れていたし、何より耳を澄ましても日本語は聞こえなかった。日本語表記は多いものの、どこか昭和の匂いを感じさせるような表記が多い。このリトル東京のある地に日本人が移民し始めたのはいつの頃か知らないが、ここの人々は日本人としてアメリカで文化を築き、必ずしも日本らしい文化を常に日本から取り入れている訳ではなく、ここで日系アメリカ人として独自の文化を築き上げているのだと知らされた。

当たり前の事だけどなんとなく寂しかった。うまくは言えないけど、きっと、そこに”単にアメリカ国籍を持つ日本人たちが住んでいた”のならこんな気持ちにはならなかったのだろう。今まで近い存在に感じていたリトル東京だが、一気に距離を感じた。

それでもきっとここの人々は自分が日本人だと知れば良く接してくれるのかも知れない。しかし、そんな距離を感じてしまった自分は、当初の”リトル東京で夕食で日本食”という予定を変更して帰ることにした。リトル東京にあった寿司屋の広告、寿司はみんなアメリカ風になってた。




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